2010年における最終的な推理 -5-

このブログのメインの内容はおよそこういうものである。
●火星のシムド谷には人工物が多く存在している。

●34〜38億年前にこの地帯を襲った大洪水で崩壊した形跡があることから、人工物はそれ以前に建設されたものと思われる。
●一見岩に見えるがそれは長期間砂嵐に晒されて砂に覆われているのが原因。また現在でも形が残っていることから岩を加工した可能性が高い。鉱物が一番耐久性が高いからである。
その40億年前の人工物説を補強する為に、前回幾人かの科学者の仮説を紹介した。
他に関連するものとして「ブルッキングス・レポート」がある。これは1960年に200人以上の専門家の意見を聞いて作製された政府向けの宇宙探査に関する指標であった。この中には将来月や火星、金星などで宇宙人によって作られた人工建造物が発見される可能性が示唆されていて、その場合情報を大衆から隠蔽すべきと書かれている。簡単に言えばパニックを恐れてということらしい。
余談だが、これに遡ること8年の1952年、ワシントンで数機のUFOが二度にわたって現れ、米軍機がスクランブル発進した有名な事件が起きた。
http://www.sspc.jpn.org/ufo/book/ufobook004/ufo22c4.html
政府は「大気の逆転現象」なる説をひねり出し強引に片付けたが、ブルッキングス・レポートの内容からすると、8年後の200人以上の専門家達はその説を全く信じていなかったことが分かる。
ブルッキングス・レポートが出されてから既に50年が過ぎた。現在多くの探査機が宇宙に出ているが、はたして今はこのレポートが云う隠蔽された時代なのだろうか?。人工物が多数存在するシムド南域は洪水地帯として地形的にも面白い場所だと思うのだが、NASAはオデッセイ以降の探査機で撮影を行っていない。そこに何らかの隠蔽があるように思えてならない。
NASAが隠蔽を行っているかどうかは、次の三つの事件も参考になるだろう。
NASAに侵入した英国のハッカー、米政府のUFO隠蔽工作を主張
「それでもその写真は驚くべきもので、私が繰り返した侵入の中で、最高の瞬間でした。写真に写されていたのは、明らかに人間が作ったものではなかったんです。それは地球の上にあって、人工衛星のようなものでした。しかしその形はシガー・シェイプ(葉巻型)で、半球型のドームがそれぞれ上下左右の端についていたんです。低解像度でしたが、クローズアップで撮影されていました。それは宇宙に浮かんでいて、その下に地球がはっきりと見えました。また物体にはリベットや継ぎ目といった通常の人工物に見られるような痕跡が一切見られなかったんです。」-Gary McKinnon/2002
http://x51.org/x/06/05/1026.php
ウィキリークス創設者、UFO関連公電の公開を示唆 /2010.12.04
アサンジュ氏は、UFOに関するメールを多数受け取っていることを明らかにしたうえで、公開のルールとして(1)文書は通報者以外が作成したものであること、(2)オリジナルであることの2点が要件であると応じた。しかし、今後公開される予定の文書の中にUFOに関する記述が含まれていることは注目に値すると付け加えた。
http://www.cnn.co.jp/fringe/30001105.html
ディスクロージャー・プロジェクト
ティーブン・グリア博士が始めた情報開示計画。元宇宙飛行士、NASA職員、科学者、軍関係者などの証言を元に、政府によって隠蔽されているUFO&宇宙人事件を暴露した。2001年5月にワシントンにあるナショナル・プレス・クラブで大規模な記者会見を行い、この模様はCNNにより数回にわたって全世界に報道された。
http://www4.ocn.ne.jp/~ds08pro/

UFOと宇宙人の話は日本ではいつもお笑いのネタであった。(説明するには紙幅が足りないが)少なくとも米国では軍事と親和性が高く、一歩間違えば命を狙われることがある危険な問題なのだが…。

2010年における最終的な推理 -4-

火星の環境が崩壊すると異星人は火星から脱出した。それから彼らはどう行動したのだろう?。私の考えではこの時に地球を訪れたのかもしれない。当時の地球は火星と同じく二酸化炭素の大気があり、磁場も発生し始めていた(約36億年前)からである。丁度良いタイミングだ。
次の二人の研究が太古の異星人の活動に関連するので紹介する。
一人は米国のノーマン・R・バーグラン博士。数々の受賞歴があり、AIAA(米航空宇宙工学連盟)の重職を歴任してきた体制派の科学者である。彼が1986年に発表した著書「土星の輪の建設者」は驚くべき内容であった。
ハッブル画像にも写った巨大物体

ヴォイジャー2機のリング写真を比較検討したバーグラン博士はそこにUFOの姿を発見し、「はるか太古の昔に太陽系に送り込まれた複数の巨大物体が、土星の輪の中で現在も何らかの生産活動を行っている。それは地球の直径を超えるほどの超巨大な葉巻型UFOだ。この生産活動の副産物としてリングが出来たのだろう(要約)」と論じた。(詳しくは南山宏著「綺想科学論」参照)。
もう一人は著名なシドニア研究家リチャード・ホーグランド氏。何十年も前から一貫して、火星のシドニア地域に存在する人面像を含む数々の人工物には数学的配置が為されてあり、それは五十万年前に作られたものだと主張している。

つまり二人は(土星と火星の違いはあるが)、現在も依然として異星人がこの太陽系内に存在し活動していると考えている。
さてここで、彼らの云う異星人と、40数億年前に火星に現れシムド谷に人工物を建設した異星人は同一種なのか?、という疑問が生じる。それには次のニュースが参考になるだろう。
2007年、コロラド大の主任研究員が興味深い発表をした。「カッシーニの観測によれば土星のリングができた時期は太陽系形成時(45億年前)まで遡る可能性がある」。
http://www.astroarts.co.jp/news/2007/12/18saturn_ring/index-j.shtml
バーグラン博士の云う「リングは巨大UFOの生産活動による副産物(=廃棄物 )」説にのっかるなら、実にその頃から巨大UFOは土星で活動していたことになる。またそれは火星が温暖湿潤で人工物が作られた時代と合致する。このことから両者は同一種で、火星はさしずめ土星開発のサポート基地の役割であったと考えられまいか。


バーグラン博士はこうも言っている。「土星のリングは地球外宇宙船団の寄港地の役割を負わされているようだ。少なくとも土星は太陽系における彼等の作戦基地の一つなのだろう」。
ちなみにカッシーニは2004年に土星軌道に乗り、今現在もリング画像を含む多数の写真を地球に送ってきているがそこに巨大なUFOは一切写っていない(^^;;
さてかつて米国以上に宇宙開発を行っていた当時のソビエト連邦、その科学者達はどう考えていたのか。

ボーダーランド文庫(1997年)/マックス・H・フリント&オットー・O・ビンダー著「神の進化計画」の中にソビエト科学者の発言が載っていてニコライ・カルダシェフが1970年代にこう述べている。
「我々の銀河系における別の文明、超文明は一つしかないと私は考える。それは我々より何百万年、いや何十億年も古いものであるかもしれず、想像を絶するほど(科学的に)発達したものだろう」。
ここにも「数十億年前」というキーワード。
またロシア生まれのゼカリア・シッチンは古代シュメール語の文献から、惑星ニビルが40億年前に太陽系に入り込み、その後ある惑星を破壊し、それが火星と木星間の小惑星帯を形成したと解釈した。これもまた今までの話にリンクするのだろう。

2010年における最終的な推理 -3-


約41億年前、今のユートピア平原(広範囲なクレーター跡)を作った天体衝突があった。それは火星の磁場を停止させたと最新の研究は指摘する。
「火星の磁場消滅、原因は巨大な小惑星」 National Geographic News
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=42104563&expand#title

しかしたとえその事件がなかったにせよ早晩火星の磁場は消えたようだ。前述の丸山博士によれば、「火星は小さい為に地球や金星より冷却速度が速く、ダイナモ組成対流を継続することが困難になっていた(要約)」とある。小惑星はとどめに落ちてきたようなものだろう。そしてそれを境にゆっくりと火星の環境は悪化していった。

磁場の消滅はまず大気層に影響した。高エネルギー荷電粒子や太陽プラズマが分厚い二酸化炭素の大気層を徐々に削っていった。薄くなった大気は有害な宇宙線を地上まで届かせて浅海の生物を絶滅させた。今まで表層を暖めていた温室効果は著しく減少し、火星は冷たく乾燥していった。更に氷河が現れ火星は凍結した。1〜2億年の間にそこまで悪化した。
当然こうなる事を予測して、異星人たちは基地を捨て火星地表から脱出していたはずである。軌道上の宇宙船にいて壊れていく環境に修復を計っていたのかもしれない。しかし惑星規模の変動はいかんともしがたく、ついにはあきらめたのだろう。
その後火山活動が活発になって各地で氷河部分が溶け、その水が北方低地に洪水となって流れ出し、一時的に広大な湖を形成した。それは何度も起こった。しかしそのときにはもはや異星人たちの姿はいなかった。
■シムド谷遺跡の一部

この氷河と洪水で無人の異星人基地のほとんどは破壊され流され土砂に埋まってしまった。唯一、入り江状地形の為に被害が少なかったシムド谷人工物を除いて。
to be continued

2010年における最終的な推理 -2-

火星の初期の6億年が、広大な海が存在する温暖で湿潤な環境であったことは先に述べた。
この「6億年」は2008年頃から多くの学者が一斉に言い始めたこと。概ね彼らは地質学者であった。火星探査機から送られる最新のデータを分析して数年、満を持して発表したのに違いない。もはや純粋な天文学系外惑星研究に追いやられたと言われるほど地質学の重要度は上がっている。今では惑星科学という名称が通りが良いようだ。
さてそうした地質学者達が解き明かした火星の歴史を時系列に織り交ぜながら僕のヨタ話をしていこう。
火星が誕生してから二億年ほど経つと、火星の地下でダイナモ対流が始まり磁場が発生した。それは現在の地球の約十倍強力だった。このことはマーズ・グローバル・サーベイヤーが南部の高地に接近したとき、強い磁力を有する複数の巨大岩体を発見したことから判った。磁場の誕生は有害な宇宙線から地表環境を守り、浅海に光合成生物が進出することを意味する。
■太古の火星想像図

この後の三億年間が火星にとって一番幸せな時代であった。
アリゾナ大に招かれているプルームテクトニクス理論の丸山茂徳博士は著書でこう書いている。「この時期、光合成生物の活動によって火星の酸素濃度は急増し、オゾン層が出来て、生命の陸上進出があった(要約)」。しかし知的生命体の誕生については否定する。地球の歴史と照らし合わせてみるならば三億年は余りにも短すぎるのだ。

僕としては、この時期に異星人が火星にやって来たと仮定するのが、一番話をまとめやすい。その異星人は大量の水と二酸化炭素の大気が気に入って複数の場所に基地を作った。その一つが後にシムド谷と呼ばれる場所であったのだろう。
では火星で何の作業をしていたのか?。いつか人類がシムド谷遺跡を訪れるならその手がかりの一端が見つかると思う。

火星が誕生してすぐに始まった温暖湿潤な6億年、磁場が発生して更に快適になった後半の3億年…幸せな時間は永遠には続かない。異変が火星を襲った。それは41億年前のことだった。

2010年における最終的な推理 -1-

シムド谷には人工物遺跡のようなものが存在する。それはかなり古く見えて一部崩壊している。長期間火星の過酷な環境にさらされたであろう外観は、一見全長2〜3kmの巨岩に見える。しかし他の地域の岩とは明らかに異質な感じがするのだ。

■シムド大洪水(右側が低地、北方向)

この地域は数十億年前に大洪水に襲われた。原因は火星に全球凍結の時代があってその後火山が活発化し膨大な氷が溶け出したことにある。それは大規模な洪水となり、北方の低地に流れ出して広大な湖もしくは海を形成した。このようなことは多くの場所で起こった。時期は約38億年前〜34億年前、ヘスペリア代の頃と言われている。

■洪水跡

シムド谷に見られるものを人工物遺跡として思考実験していくと面白く話が発展する。遺跡をつぶさに観察すると、水流の跡が目視で確認できることから大洪水の前にこれらが作られて、大洪水によって崩壊したと考えられる。
前述した全球凍結の時代はおよそ39億年前であり、それ以前は温暖湿潤な環境だったことが地質学者たちの研究によって判明している。火星全土に残る海岸線の分析から海が存在した事、二酸化炭素の濃密な大気が地表を暖め、強力な磁場が有害な宇宙線をブロックして、火星全46億年史の最初の6億年は生命が存在するに有利な時代であったことはもはや定説である。

■グセフ・クレーターの石(約30cm大)

おそらくはこの6億年間のどこかに、他星系から火星に調査に来た異星人がいたのだろう。そして火星のいくつかの地点に基地を置いた。この頃の地球はジャイアント・インパクトの影響でまだ安定していなかっただろう。比べて火星では陸上の植物はまだ僅かでも、海には酸素を出すシアノバクテリア類が出現し、海洋生物は三葉虫レベルまで発達した可能性がある。このまま進化が続けば早い段階でこの太陽系初の知的生命体が生まれるはずだった。がしかし…

■参考文献
「火星の生命と大地46億年」丸山茂徳
「火星-赤い惑星の46億年史」ニュートンムック
「綺想科学論」南山弘

二つの動く石

■一個目「変形する石」

場所は「ホーム・プレート」のすぐ近く。スピリットが同じ石を別々の日に撮影したものである。Aの画像内、矢印で示した異常な形状も面白いが、右ではその形が違っているし、本体の石も割れていない。撮影角度とかレンズの好不調が原因とは思うが。

■二個目「移動する石」

http://marsrovers.jpl.nasa.gov/gallery/all/2/n/1833/2N289093752EFFB074P1985R0M1.HTML
それだけではない。緑の円内の石が移動している。これは非常に遅く歩く生物なのだろうか?。

■検証

(SOL1833,1836,1843画像はこのように移動しながら撮られたものである。写真では距離感を間違え易いがほんの数メートルの移動だ。白矢印はカメラの方向)
実は僕は、テーブル上にタバコやフォトスタンドなどを配置して、1mぐらいの視点で、2m後ろから左右に動きながらみる実験をしていたのだった。移動したように見えるのは撮影角度が原因でほぼ納得できた。残念ながらこの石は生物ではないようだ。


側面からの画像を更に二枚。形が「バベルの塔」を連想させるので、この石を「バベルたん」と名づけよう(笑

ついに発見、炭酸塩

2010年6月3日付プレス・リリース
NASA Rovers Finds Clue to Mars' Past and Environment for Life
(火星の太古と生命が生息する環境への手がかりを発見)

http://marsrovers.jpl.nasa.gov/gallery/press/spirit/20100603a.html
NASAのスピリットが「ハズバンド・ヒル」から「ホーム・プレート」の間にあるコマンチと名付けられた岩を、2005年から4年かけて調査したところ、その鉱物は高濃度の炭酸塩を含んでいた。これは火星に非酸性の水が存在した証拠である。
「これは最も重要な発見のうちの一つだ」。スピリットの主任研究員であるスクワイヤーズ博士は語る。「古代の水は酸性ではなかった。この岩露出部が大量の炭酸塩を含んでいたということは、この地が太古の一時期、生命が生息するのにかなり有利な環境にあったのだろう」(要約)
■日本語詳細が「日本惑星協会」のサイトに出ている。
「スピリットが太古の火星に生命の存在に適したと思われる証拠を発見していた」
http://www.planetary.or.jp/HotTopics/topics100609_2.htm
■地質的解説
太古の地球をモデルにして話せば、当時大気成分の大部分を占めていた二酸化炭素の大気は海水に溶解して炭酸塩を生じ、それは沈殿し堆積して大量の石灰岩や炭酸塩岩へと変化した。pH値の低い(酸性の)水ならそれらは分解してしまうが、海水はアルカリ性質なので岩になったのである。これらの岩には海生生物起源のものが多い。藍藻類(シアノバクテリア)からなるストロマトライト、他にサンゴ礁、白亜(チョーク)などである。

http://home.u05.itscom.net/apodjpn/apodj/2002/200206/fb020627.htm
つまり、太古のグセフ・クレーターに存在した水もまた、大気が溶け込み岩を作るほど長期間存在し酸性ではなかった。それなら岩に生物起源の可能性があるということ。更に言うならマーディム渓谷をさかのぼった高地には大きな湖が存在し、当然そこも生物が生息するに適した環境だったのだろう。
■雑感
確かJAXAのウェブ記事だったと記憶しているが、ローバーが火星に降りる前には、NASA内で「火星にかつて水があった」「昔も今も水は無かった」と主張する二人の大先生がいて、中堅の学者達はその二人の間を自由に行き来しながら研究していたそうだ。僕はニュートン・ウェブサイトで2000年頃からの、NASAによる火星に関する記事(ダイジェスト版だが)を探した事があった。水の存在に関しては、交互のように相反する発表が掲載されていたように思う。だから二人の大先生の話には得心した。どっちが勝ったかは今や明白であるが。
さて今のNASAではおそらく「火星にかつて生物がいたかどうか」が論じられているのだろう。その場合、生物がいた側は地質学者達で、そっちが主流なのに違いない。
ニュートン・データベース」
http://www.newtonpress.co.jp/science/news/sensor/index.html#